浅き夢見じ

まぁ何となく書き始めようと思ったのだけど、結局いつも何回かに分けて投稿しているそれのまとめ版ということになり。いつもTL汚してごめんと心を痛めてるから、代わりにここを使っていけたら万々歳。

そんなこんなで、愚痴と自分への警鐘と、愛すべき黒歴史のために書き連ねていこうかな。


1回目、初回。そんな素敵な回に何を取り沙汰してやればいいんやと思ったよね。でもお前何が喋れるん?浅い脳みそ使って出るのは薄汚い主観だろ?

...悲しいわ、語彙も学もない自分。


ということで、「私にとっての家族」についてぺらぺらしていこうと思う。


私は生まれてすぐ、脳科学のなんちゃら塾的な所に連れて行かれていたらしい。母が好きなんだよね、そういうの。所謂教育ママ。

幼稚園でもなんかしら塾的な所に通い、小学校2年生で既に「1週間習い事生活」が完成していた。いや、実際には幾つか辞めたりしたからずっとじゃないけどね。

その後中学でも地元の○進的な所に通ってた。私の数少ない友人なら、私が受験生直前のアホみたいな時期にそこを辞めたことを知っているはず。そうなの、残念ながら塾が嫌いなんだよね。

でも、○進を辞めたのに母の意向で○進(伏せたら一緒で草)に行かなくてはならなかったから、また地獄。

結局、高校は私学女子校に行かせてもらって、塾には一切行かなかった。幸せだったよ、塾が苦痛で仕方なかったから。(高い学費と引き換えにね。サンキュー両親。)


私は塾が合わないからこんなこと言ってるけど、勘違いしないで欲しい。

「え〜お金持ちで塾行けて羨ましい!塾行かせて貰えるなんて幸せだよ〜」

...そうね、確かに恵まれてる。でも、きっと貴方は私の苦痛は理解出来ないよね。だって貴方は私のこと何も知らないからね?


私は小学時代を有名な進学塾で過ごした。本当に、馬鹿みたいに通った。宿題はしなかったよ、予習復習一切しなかった。無駄だねぇ、あんな高いとこ通わせてもらって。

じゃあなんで辞めなかったの?そうだよね、そこだよね。1度は辞めたんだ、小学4年の時かな。

塾の前で足が止まって、うろうろして、本屋行ってサボったり。そのくらい合わなかったんだから、当たり前だよね。

小学2~4年まで良く頑張ったよ。まぁ、まだその頃は成績良かったし、授業にもついていけてたからね。メダルもらったこともあった。あれは多分一生棄てられない。(私の部屋のコルクボードに掛かってるアレね。)

あぁ、逸れちゃった。塾を辞めた話ね。

なんで辞めたかは「塾に行くのが苦痛で、お金が勿体無いと判断出来ていたから」だけど。あれ?塾ずっと行かされた話じゃないの?そう、私は塾に戻ったんだよねまた。

辞める時、大層揉めた。母は私を塾に絶対行かせるマンみたいなものだからね。でも、辞められた。なのに何で戻ったのか?その辺が私の人生にかかった呪いだと思う。


辞めて清々していた私は、不安でもあった。

嫌いなことを辞めて不安になるって何やねん!ほんとね。

でも、私はそれまでずーーっと!1日と欠かさずと言っていいくらいに「良い中学(私学ね)に行って、良い高校に行って、良い大学に行かないと人生終わりだよ」って言われてきたんだ。

わかる?塾を辞めた私は良い中学(母の指すものね。私が実際行った地元の中学は素晴らしかったよ)には入れない。ということは、人生が終わることが確定したんだ。

私は塾に行かないと、良い学校に行けないと死ぬと思って生きてきた。馬鹿みたいでしょ?でもそうやって呪縛をかけられるとこうなるんだ

一生の大半を、自分は死ぬんだと思いながら生きる気持ちは分かってくれないでいい。ずっと私はゾンビみたいなもんだったし、そうなって欲しくないからね。

結局私は、辞めたあとも「本当に辞めたままでいいの?」と悪魔のように毎日囁き続けてきた母に戻してくださいと頼んだよ。

行きたくなかった、お金も無駄になる、でも。死にたくなかった。幼かった私は死にたくなかったんだ。今はこんなに死にたいのにね。

母が高齢出産だったこともあって、両親が同い年の子達の父母より歳が上だったから、両親がすぐに死んでしまうんじゃないかと思ってたこともある。良い会社に入らなければ、扶養してくれる人がいなくなったとき生きていけないからね。

それに、母が好きで入れたはずの塾代、学費「全て返して」と言われてたから。冗談半分だけど、子供には借金の取り立てにしか聞こえなかったよ。不真面目に通ってたから、罪悪感も相まって返さなきゃと思った。だから私の人生には莫大な借金が今も居着いてる。ちゃんと返すよ、今じゃないけど。

お金と将来の為に私は塾に戻ったんだね、死にたくなかったし、ちゃんと社会で生きていけないのが怖かったから。


小学校5、6年の頃、私の中で流行ったのは1人で泣くことだった。もう最近じゃ泣けもしない。だからぴーぴー泣いてる女子を見ると冷めてしまうんや、ごめんな。

行きたくない塾に行き、したくもない(嫌いじゃないけど)勉強をしなさいと言われ、成績は芳しくないから呪い通りに死ぬと思っていたから。

もうその時には親は相談相手や頼れる相手じゃなかった。というか、まず相談したり自分の不安を吐いたことない。扶養してくれる人、そして私を責める人。それだけだったね。

だから、親を大事にしなさいとか言われたら「はぁ?」ってなるさ。実際、親御さんと仲がいい家庭の話を聞いてビックリしたからね。

悪い人じゃない、いい親なんだよ。でも、私の精神とか気持ち、情緒面は正しく育ててくれなかった。(だからヒトラーみたいな思想になったのかと言われたら、さぁ?)

母と趣味や日常の話で盛り上がったことは無かったし、なんなら生理とか女子が母とするであろう「女として知っておくべきトーク」も無かった。あと、父は怖かった。私が幼い頃の父は暴力的だったから。(今は私が図体も態度もデカくなったから、怖くないんだけどさ。)父を怒らせたら殺されると思って、昔は二人になるだけで体ガチガチだったし、怖かったなぁ。懐かしい。


さぁさぁ、言いたいことの着地点が見えなくなってきた。Twitterなら要らないオチが必要だからね。まぁいいか。


小学6年でリスカをするようにもなって、バレずに過ごしてきたよ。受験はそりゃまぁ失敗して、地元の公立中学校に行った。(私は正直私学で行きたい場所も無かったから、死ぬ恐怖以外覚えてない。がっかりしなかったよ。勉強してなかったし、モチベーションは基本0だったからね。)

でも、公立中学校に行っても私は死ななかった。母が言うには死ぬ筈だったのに。

世の中、学歴だけが全てという母の元生きてきて、別に人間躓いても大丈夫なんだと気付いたのはこの時から。


父が与えてくれた母のパソコンを使うようになったのも小学6年からかな。それ以前にもパソコンには触れていたけど、ここからがっつりネットに落ちる事になるよ。

私の友人で「ユリカ」の名前を聞いたことが無い人なんていないと思うけど、彼女に会ったのもここから。

...また話が逸れたけど、兎に角ネットをするようになったってこと。ネットをするとどうなるか?視界が広がったよね。

自分より酷い状況(私はかなりかなり良い環境だと分かってるけど苦しかったんや認めろ)の子を知り、私と似たような人を知り、私より幸せな人を知り、自分の意見を形作ることを知った。

正直、ネットに触れなければもっとマシな人間になっていたとは思う。だって掲示板・チャットとか2ちゃんねるとかは、大方クズみたいな人間の悪意が溜まった場所みたいだったからね。そこで学ぶべきでは無かったわ。(でも私は今の自分が好きだから、2ちゃんねるを見るのはオススメする。人間の悪意と愚かさの権化を見るのは大事。)


私がそうして半咎落ちのように自分を確立、もとい悪立した結果、今の親子関係が出来上がったね。

まともな家族関係じゃないと、私も妹も、そしてきっと両親も思ってる。


ボロクソに親を憎んでるかのように書いてきたけれど、別にそんなことは無いよ。

そう思えるようになったのは成長とネットのせいかな。

私は今は、育ててくれたこと、教育費を惜しまないでくれたこと(借金として催促してくることは除く)、色々娯楽に浸らせてくれたことは大変感謝してる。感謝すらできないのはやばいからね、自分の立場は分かってる。

でも、親がだーいすき♡みたいな人間にはなれないし、なることは無いと思う。だから、親が死んでもきっと泣かない。わかる?情がないんだ、決定的に。情になる触れ合いが足りなかったんだろうかね。

おかしい人間だと思うけど、薄情と言われてもこれが私だし、なんなら私もこうなりたくなかった。

親を憎んではない、でも、私は感謝は出来ても愛情は示せない。


あぁ、そろそろ学校に着くから締めましょうか。乱文散文おめ汚し失礼しました、読んだやつは物好きだ。取り敢えず早く死にたい。

ご閲覧ありがとうございました。